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山の火葬場

とぼとぼと、いや長靴だからのっしのっしなのか、一歩一歩踏みしめるというほどのしんみりしたものでもない。景色の変化に戸惑いながら、しかしそこかしこに小さな記憶がよみがえる。谷あいの急な山道を登っていく。考えてみれば何十年ぶりかな、それくらい記憶の網から長らく離れていた「行動」だった。中腹の田んぼは冬だからと言うわけでもなく、荒れている。人の手が入ってないというより、野山になろうとしている。ようやく少し平地になり、その少し上の方に見覚えの有る(気がする)植林されたヒノキ林の一群が目に入った。ここかな、確かこの奥だった。いまや大木になった木立に分け入ってうろつく。その奥にそれらしき広場を・・・目がさまよう。しかし人間の臭覚はすごいものである。何かが違う、気配がない、ここは違うな、もう一つ上だったか、ウン違うもう少し上だったな。気を取り直すように何十歩かの歩みを進めると、気配が出て来た。しかし[アスプルンドの森の火葬場]がみせる、劇的にかっこ良く「出て来た」というような「いけた」ものではない。しかし確かにここだ、火葬場ではない、焼き場だ・・・。ここがかつての村の焼き場だ。もう一段上にはかつて村の墓地として賑わっていた?ひな壇も確かにある。それらしく窪んだ中心部からは、やはり今でも死臭が漂っている(かのようだ)・・・。何しろ、いつごろからかはともかく、長らくの村の焼き場だったのだ。

そういえば少し前も火葬場を見学した、Iさんの岐阜に出来たものだが。それはおよそ火葬場というようなウエットなものではなく、あくまでも彼らしい軽快な構造美を追求したドライなもので、いかにもきれいな建築だった。そこでは死臭どころか悪臭すら無縁な、どこかおもちゃのような宗教建築。良く出来ている。うねる屋根と蓮の葉を模したとゆを兼ねた、ランダム?に配置された構造柱の妙味。常に新奇さを狙う意味では、安定したアベレージである。公共建築でああした建築を成就させていく力量はさすがであろう。しかし何かが違う。自分にとっては、葬る場としての決意を設計には込めたいものなのだが・・・。

40年前かあ・・・。最初で最後の、山の焼き場への長い行列、当時はまだまだ活発だった村の行事、祖父の葬式であった。中1だった僕は確か位牌を抱いて、村の人々によって担がれていく棺おけの直ぐ後ろを、それこそ、とぼとぼと泣きながら歩いた・・・。よく考えてみればすごい変化である。今ではたとえどんな田舎でも野焼きなど考えられない(法的に)、夜通し山頂に上るくすぶった煙とともに火の魂は漂わないのだから。しかしその本来的な悲しい涙は、まもなくして襲ってきた、哀しく耐え難いわななく絵図、に比べたら遥かにすがすがしいものだった。今回ようやくその本来的な悲しみに帰れた気がした。

朽ちて行く山、朽ちてゆく川、朽ちてゆく田畑、朽ちてゆく家、朽ちてゆく村、朽ちてゆくコミュニティー。これが近大主義の副作用か、繁栄を遂げる都市の近代化との、一方通行のトレードか・・・。
いまさらながらのノスタルジーですましてはなるまい、逃げるように出て行った者、山の向こうへ幸いを求めた者、何を間違ったか建築家なるものになった者、物作りを任とした者。また都市で舞う他者である人々。人間にとっての建築、空間・・・。はるか遠く天空をさまよう煙のなかにイデアの火の玉をさぐろうとしたのか・・・。