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盗作と類似性

若い画学生が、ルーブル(美術館)等で名画の模写をする姿は好感が持てる。しかし今回、洋画界の重鎮?W氏の犯した盗作行為は、人間が持っているおそらく最高の資質の一つであろう創造性の領域でのことだけにおそまつである。本人はもとより、それを取り巻く日本の優秀な見識者達も恥ずかしい。この根底、領域には製作者のモラルに対する「性善説」がある。何やらちょっと前にどこかで聞いたようなフレーズだが、「人の振り見て我が振り直せ」より「二度あることは三度ある」か、ということわざがつい口をついて出てしまう。どちらにしても人間の中に抱えている悪魔性は油断すると必ずどこかで出現してしまう、それを抑えるには普段からのそうした「ことわざの伝承」が自己抑制を図るのに役立つと代々言われてきた、少なくとも最近までは・・・。

今回のようなあからさまな件は論外だが、この創造性、オリジナリティーという代物は確かに厄介なものである。日本の建築界でもこれに似た話は昔からよく言われていた(ここでは誰とは言い難いが)。その場合のパターンも全く良く似ている。海外に旅行、留学してきて、たとえばそんなに遠くの、また田舎の建築だからばれないだろうと思い、ついつい真似てしまう。それは情報量の問題だから、昔は危険性も少なかったのだろう。厄介だと言ったのは、建築の場合、「影響を受ける」と言うフレーズはれっきとして存在していることである。これはいってしまえば世界中の建築にあてはまる。たとえば木造の法隆寺と石造のギリシャ神殿のエンタシスに見られる類似性、影響性云々、というものである、しかし影響を受けて、そこから独自の世界を生み出そうとするのは真摯な創造性への挑戦で良い、しかし何回も言うが今回のようなあからさまな盗作者は即座にペンならぬ筆をおくべきであろう。
身近な所では、少し前になるが、友人の建築家が、自分の作品が若い建築家によって盗作されていて、その彼のホームページで、あたかもその本人の作品として掲載されていたということがあった。その時も法的な措置を取ろうとしたのだが、弁護士との相談では、その写真が小さなワンショットだけなので、どこまでその真意を問いただせるのかが難しいと言うことになったと聞いた。

これには落ちがある。その時の話題は、その「盗作者」がよりによって、僕の弟子だとそのホームページ内で書いていたと言うのである。これにはまいった。真相は学生時代に確かに教えた(授業で)学生だったのだが・・・。弟子を名乗ってくれるのはいいが、もっといい話題になるように使ってほしいと切に、切に祈ります。