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地と図もしくは主to従・・(2)

この会議中でのひとコマが、何故それほどトラウマのごとく脳裏に焼きついているのか。これは私の中で、このエピソードを序章として、その後加速展開されたCAD、CGの進歩、またIT革命による社会のコミュニケーションシステムの劇的変化を観たがゆえに、その助走期であった当時、この予兆を見透せなかったことがよほど悔やまれているのだろう。それはまさしく「地と図」の転換が起こったような感である。さてここからが本題だが、こうした社会環境の変化により、人間の思考や価値観がどのように変わるのか、其れが又逆に建築デザインを良くも悪くもどのように変えて行くのかを考えたいのである。確かにツールの進歩は建築界に有形無形の多くの進化をもたらした。とりあえず解りやすい変化、進歩というところでいえば、「伊藤スクール」を筆頭(日本では)に圧倒的に展開される軽妙なプランと形態等なのだろう。ただこれらはあまりにも楽観未来主義「的」過ぎて(勿論理念ありきなのだろうが)、私のような田舎者には満足しうる理想系としては物足りない。ファッショナブルな、いかにも脱理念的な足早性という表層が見え過ぎてしまうからである(だからこそ人気なのだが)。やはりツール革命ではだめなのか。では正真正銘の革命ではどうか。たとえば現在のロシア。1991年にソビエトからロシアに変わった。1917年の社会主義革命から70余年続いたソビエト国家の終焉だった。ここでも「地と図」、「主to従」の転換である、封印されていたロシア正教の復活でもあったのだから。このころから盛んに言われていたのは(私の周りでだが)、新しいデザインが、新革命下のロシアの若者達から現れるだろうというものだった。確かに程なくして、「AAスクール」が活動の中心だったろうが、若きロシア建築家旋風が吹き荒れた(特にコンペで)。スワッ、第二次ロシアアバンギャルドか、それだけ彼らの出現はセンセーショナルであり、黒い稲妻のごとくみごとなドローイングが魅惑感を迸らせていた。それから彼らがどう期待どうり活躍したのか、そのドグマがどれほど流布したのか詳しくは知らない。洗練された北欧モダニズムとは違うより寒い国からの照射だからこその期待であったろう。ただ少なくとも現状からすると一時期のブームの域は超えていないのか、彼らの眼差しは何処へ向ったのか・・・。しかし個人的にはまだまだ十分期待している。となれば次は何処なのか、何なのか、このへんは[親鸞的他力本願」としてちゃんと注目すべきだが、しかしやはりここは自力でやるしかないのか、タイヘンだー。いやいや日本の若い皆と共にやろうではないか。