オットー ディックス の告発

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最近ウィキリークスの話題が多くの人々の関心を呼んでいる。今年の春頃だったかバグダッドにおける、米軍の許しがたい蛮行映像が内部告発により流された映像が衝撃だった。ああした行為は戦争という名目ゆえに罪を問われないのだろうか、これはやりきれない疑問として頭から離れない。私に限らずそう思われる人が多いのではないだろうか。

問題は、前述の映像に限らず、彼らのそうしたスクープが内部告発によるということだ。これが民間のそれだとこんなに問題にならない。しかし、ことが戦争、国家、政府が絡んでいるとそう簡単ではない。ウィキリークスではないが、近日来かしましい日本の尖閣諸島における中国漁船追突映像の流出も形は内部告発である。戦争中であるからか、或いは一触即発に発展しかねない敏感な状況であるからか、その是非が問われているが、個人的には積極的に肯定の方に手を上げたい。

有史以来続く戦争は愛国心と正義感がなければ成り立たない。しかし現代ならともかく、20世紀の戦争では多くの国民は、その起因そのものに憤慨してというより,政府扇動による受動的なところが多いのではないだろうか。しかしその時代にこうした告発があったとしても果たして人々に知らされただろうか。

起こしてしまった戦争、起きてしまった戦争。否応なく多くの人間が動員される。

ここに一人の戦争体験者がいる。彼の名はオットーディックス。ドイツ人である。先ごろ彼の版画展を見てもう一つの衝撃を受けた。彼は20世紀の2つの戦争に志願兵として参戦した。正確に言うと最初は志願兵として、後は召集兵として。その2つの動機には意味の違いがあるが、それを探るのはここでの真意ではない。

衝撃は、そのすざましい筆致力にもよるが、それ以上に確たるリアリズムとそれに伴なう自己告発者としての意思の堅固さを感じるからである。一言で言うとトラウマということになるのだろうか。人は誰でも持ち合わせている、或いは持ち合わせるようになる「こだわり」、譲れない一線。これの引き方で生き方が変わって来る。

それは何も先述の戦争を問うた内部告発のみを言うのではない。戦争という悲劇に起因するとは限らないが、誰しもに、或いはどの時代にも内在する享楽と退廃への誘惑。この人間のぬぐえない本質を、冷徹に、まるで自分自信の内面をえぐりだすように生涯告発し続けたディックスは、類いまれな20世紀芸術家の一人であろう。多くの皆さんに一見していただきたいと思う。