涙・・1 (さすらいの建築侍)

キラ星のごとくの有名女優がスクリーン上で見せる涙(例えばイングリッド バーグマンの「たがために鐘は鳴る」等、古イカ)は限りなく美しい、特に悲しい涙にまた人々が涙する。これに限らず「涙」にはいろんな涙がある。考えてみれば人間は赤ちゃんのときが一番よく泣く(涙する)。「泣く子は育つ」ともいわれる。それから成長するにつれてだんだん泣かなくなる、親からも「男の子は泣いちゃいかん」、「女の子みたいにメソメソするな」と言われたりする。(ということは女の子は泣いてもいいのかな?)とにかく大人になるにつれてなかなか泣かなくなる(泣けなくなる)。この頃はこれまた「男は人前で泣くもんじゃない」などとも言われる。だから男は青年期から壮年期にかけて泣かないでしっかり働く。そしてだんだんと年をとってくると、今度はだんだんと又涙もろくなるという。この現象論には誰しも異論はないだろう。しかしこの相関関係にはもう一つ意味があるのです。というのも涙の量をY軸に年齢をX軸にすると、明らかにプラスの2次関数曲線を描く、しかしそれに逆比例して、量が減る分今度は涙自体の意味性、内容性が重くなる、または高まってくるのです。これがもう一つのエネルギー保存の法則(といえるのかどうか?)だと思うのですが・・。この人間(動物)に備わった絶妙なバランス機能(メカニック)が、人類をここまで永らえさせている最大の要因だと言えるのではないだろうか。

そうです、この法則は何にでも当てはまります。例えば作家、芸術家といわれる人達、小説家、画家、音楽家、そして建築家然りです。共通しているのは制作量と質の相関関係ですが、先の「涙」曲線と違うのはカーブが逆転していることです(マイナス2次関数曲線)。青、壮年期に仕事量が増えピークを向かえるからです。しかしここで先程と逆の内容的反力が働きだします。良くいわれる「筆が荒れる」現象です。書き(描き)過ぎて、また作り過ぎて、質、内容が薄れていくことです(勿論例外もありますが)。ただ建築の場合はまだ、優秀なスタッフを増やせば大丈夫ともいえそうで、現に売れだすと、アトリエ派から組織事務所への必然的「脱皮」が図られます。しかし、これがなかなか想定内(質、内容的に)に収まらないところが世の中の面白いところです。この移行過程、あるいは移行後の失速(失礼)パターンは枚挙に暇がないのですからー・・・・残念。・・・とはいうものの拙者、雨の日は憂鬱です、靴底から「涙」が滲んできますからー・・・<売れたい>斬りー・・・。