建築の可能性

6月30日(金)香川大学工学部での講演会無事終了
地元香川で頑張っておられる建築家野村正人さんをはじめ関係の皆様有難うございました。皆さん車なのでノンアルコールビールだったのに僕だけ生ビールをご馳走になりすみませんでした、おいしかったです。

グローバルな意味でのそれとローカリティー、地域性を視野に入れたダブル視点が重要であると思っている。そもそもグローバリズムとローカリズムは対極にあるのではなく、究極には曼荼羅の境地に到達すべきだと思っている。一点の力点から広がる波紋のようなものがグローバリズムだとしたら、20世紀モダニズムが確かにそうであり、21世紀のインターネットの普及などがそうなのであろう。しかしそうした急激な伝搬性は津波のようなもので、なにもかも、全てを飲み込んでしまう危険性を孕んでいる。方やそれは、地域性も宗教も民族も超えたユートピア社会を念頭に置いているといえるのかも知れないが。問題は果たして人類にとってそうした同化が理想なのかということである。そのミニスタディーが現在の日本社会で行われているのであろうが。ただ昨今の日本の状態を見ているとどうもそうした無色性、無自主性が気になって仕方が無いのは私だけだろうか。また、独断的な自主性は依存型保守主義を助長するだけで何とも痛々しい。生みの苦しみだと思いたいのは山々なんだが・・・。波紋は一方通行ではなく各地域からも起し(日本も世界から見たら一地域であることを認識したら一点ということでは同じである)、押しては返す波状関係が理想なのである。そういう意味でも讃岐地方独特の建築を模索してみてはどうだろうか、というのがその日の結論であった、「独自の境地に達している讃岐うどん」に劣らぬ自前の讃岐建築を望みたい。

翌日のその讃岐うどんツアーは良かった、久々だったがやはりうまい。。勿論うどんもおいしかったのだが、せっかくだからということで建築も見学した。目玉はなんといっても金毘羅さんの境内に最近出来た社務所その他施設(鈴木了二氏設計)だろう。八百何十段かの階段はさすがに圧巻です、疲れました。その苦労して昇った先に待ち構えていたのは偉業(異形)の建築でした、「旭社」はさすがな出迎えをしてくれた。境内といえば、一番気になったのは実は方位でした。北斜面に建っているのだから当然なのだが、眼下に広がる瀬戸内海を見下ろしているにしてはどうも東を向いているらしく、そのひねり?が奥ゆかしくもあり、不思議な感覚におそわれた。
肝心の鈴木さんの作品はよく出来ている。極端な急斜面の生かし方も巧みである、また、海の神にちなんで海運業の守り神になっているため、「造船技術を駆使して」の呼びかけなのだろうのさび鉄板の使用は説得力があるし、鉄骨の寺も建てられている氏ならではの仕事といえる。ただ最近の猫も杓子も的な鉄板流行にあまりにも時期が一致してしまったために、先入観が強すぎて、ついつい感じてしまう素材の強度に加えて、哀しみの空間も感じてみたかったといえば欲張りであろうか(失礼)。
それに比べてという訳ではないが、麓にある「金丸座」は質素で素朴にたたずんでいる。それでいながら、最近施工されたという鉄骨の大補強改造が好ましく成されていて、外からではわからない、内部空間の異形を相変わらずはらんでいる。