世襲

少し前になるが金毘羅大芝居を見た。メインは人間国宝の坂田藤十郎であるという。最初ピントこなかった(ここらが門外漢)、しかしよく聞いてみると、前の中村扇雀だという。それならまあ私も知ってる?し、金丸座の建築自体は何回か見ているが、そこで上演される歌舞伎は見たことがない、一度体験してみるのも好かろうということで誘いに乗った。

金丸座は、つい何年か前に補強改造がなされた。名建築なのでご存知の方も多いだろうが、以前は客席に確か4本の柱が立っていた。甲子園の照明塔の柱が野球観戦に邪魔だったのと同じで、舞台の動きを見るのにどこかしらの角度は見にくい席が生じてた。今回の改造で見事にそれが取り払われ、すっきりしていて大変見やすい(もっとも今回は2階側席だったが)。これは基本的には和小屋組みの大梁を鉄骨によるトラス梁とすることで支柱を無用にしたものである。おかげで新扇雀(息子)の宙吊りも楽々可能になり、安定感を増している。

それはともかく歌舞伎である。江戸時代中期から後期の隆盛をいまだに持続させている原動力は世襲なのだろう。どこかの国の元首の世襲はいただけないが、こちらはシステムそのものが無形文化財化していて、ゆるぎないファンを獲得している。
もともと日本は極東の島国がゆえに鎖国も可能にしたぐらいだから、世襲には向いている(?)のだろう。話自体にはなんらの新奇性はないが(ゆえに古典といえる)、人身の新陳代謝がそれを補ってフェスティバル化している。能、狂言にはない派手さ、娯楽性、大衆性を備えている?がゆえに今後もファンは見放さないだろう。

ひる替えって建築家界はどうだろう。基本的に建築家の才能は画家、音楽家等と同じく1代限りである。世界の巨匠たちをみても押しなべてそうである(むしろほとんどは財団が出来ているが)。しかし日本の場合は少し事情が違うようである。戦後の日本の巨匠達の事務所は、その存在自体が世襲化していく。大概は先生没後は、「長」は世襲で引き継いでも、組織事務所として発展?していくことが多い。これはその後の営業的戦略もあるが、建築特有の維持管理が大きな正当性の柱になっている。初めからの大組織事務所の論理もそうである。「小さい事務所では長年にわたっての財産保全監理は出来ない」と。ただ最近は一般企業でも、世襲のほころびがやけに目立つのは何故だろう・・・。ここで私はその是非を問おうとしてはいないが、2年ほど前に行った岩国の錦帯橋での、50年ごとに行われる橋の掛け直しに携わっていた棟梁の話が耳にこびりついている。えらい学者先生方が参集し、、コンピューターを駆使して「橋の力学のシステムを解析して後世に伝えなければならない」、と言うのを尻目に彼は、「こういうものは50年に一人優秀な大工が現れればいいことだ」と言い切る。一期一会にかけている建築家としては少なくともこのくらいの気概は持ちたいものである。