構想ノート展

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ギャラリー「かのこ」にて建築家xアーティストによる展覧会を行っています。

住所 大阪市中央区千日前1-2-6
tel 06-6214-2595
期間 2007、12/10-15<前半>、12/17-22<後半>
(平日12時-19時まで、土曜日は16時まで、日曜休み)

弊アトリエは後半<part2>に出展しています。

ドミニク おめでとう

この度弊アトリエの瀬戸口ドミニク君が「新建築住宅設計競技2007」において2等入賞を果たしました。このコンペは数あるコンペの中でも、最も由緒あるものの一つだけに大変栄誉のある入賞です。今年の課題は「A House with Resale Value」,
審査員は建築家小嶋一浩氏でした。詳しくは「新建築2007、12月号」参照。

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「チョゴリ」。
唐突だがこの「言葉」を21世紀建築のテーマの一つとして大事にしたい。
一般的には韓国の礼服である、チマチョゴリを思い浮かべるだろう。
実はこれ、駄じゃれに絡めた造語である。

思い返せば早いもので、もう30年程前にもなってしまうが、一年間ほど韓国のソウルにいた。ソウル市内中心部にある一大プロジェクト、ロッテホテル及びロッテデパート建設に絡んでである。デパート部及びコネクション部が大阪の設計事務所の設計監理であり、4人のチームで常駐していたのだが、その中に私一人だけ外人部隊で参加していた。当時のソウルもそこそこ大きかったが、今のソウルからすればはるかに小さい都市ボリュームであった。地下鉄もかろうじて1本だけだったし、韓南側はまだまだ開発以前であった。ただひたすらパルパル(1988年のオリンピック)へ向けての空前の都市改造の真っ只中の時期であった。ここでは二つの手本があった。日本とアメリカである。法規等の実務的なプログラムは10年前の日本版がベースになっていた。しかし建築家制度はアメリカ式であった。設計は建築、構造、設備の、いわば三権分立である。日本での基本設計(ほとんど実施に近いものだったが)を元にそれぞれが独立して実施契約をするのである。これは責任の分担とともに、責任のありかをはっきりさせるという合理的な一つの方法である。

しかし、日本では、ゼネコンに代表されるように工務店の設計施工がまかり通る矛盾が合法とされているために、設計という仕事の「ホントの意味での重要性の認知度」がいまだ低いのである。それゆえ設計料、いわゆるソフト料がいわばサービス的なニュアンスを与えているのである。そんな中、西洋(欧米か!)スタイルを採るということは、現行設計システムを一気に2段階飛び越えることになり、急激ななソフト料のアップが見越され、果たして今の日本社会が受け入れるかどうか?。アネハ事件以降クローズアップされている「チェックシステム」問題が姦しいが、それは目先の問題であり、大きな村社会(談合)国家ゆえの明暗をかかえているこの設計制度システムこそ、わが国の残されている大問題の一つであり、ここをクリアーにすることを、今こそ真剣に考えなくてはならないのではないだろうか。それともこれは、日本独特の「超合理」という皮肉なシステムとして生き続けるのだろうか。それはどこまでもハードな問題である・・・・。

前置きが長くなった、すなわちチョゴリ、超ー合ー理である。超合理、合理主義を超えた建築である。
グローバルデザイン、「モダニズム」が世界中に浸透した20世紀は大変な100年だった。しかしそれを受けてこの21世紀は何をテーマにするのか?。近代主義ー合理主義ー機械主義ー資本主義ー共産主義。これら20世紀に共通する無機的なイメージからの脱却が問われるのだろう。いわば人間主義、ネオルネッサンスとでも言おうか、「有機栽培」ならぬ「有機建築」とも言えるのか、これはこれで、は大きな課題として魅力があろう。そこでチョゴリだが、前述のソウルにいた時たくさん目にした時から思っていたのだが、あの素材共々、デザイン的なふんわりとした柔らかさとナイーブさはすばらしい。日本の着物以上に体の線を神秘で包む真髄はいかにも「東洋的神秘」に満ちている。それでいて充分エロティックでもあるから、普遍性も備えているのだろう。西洋的なモダニズム建築を超えた、こうした真髄のある人間建築「チョゴリ」を是非とも作ってみたいものである。

石井修 逝く

先日建築家石井修氏がご逝去されました、心よりご冥福をお祈りいたします。

85歳の大往生でした。氏は、関西の住宅作家を代表する巨星でした。私自身は直接には薫陶を受けたわけではありませんが、氏の事務所である「美建設計」は若い頃より知っていたし、そこで修行した弟子たち、孫弟子達より氏のことはよく聞いていました。また一時期同じビルにいたこともあったのでより親近感もあります。氏の活躍は今ここで申すまでもないでしょうが、一作品、一作家の枠を超えて、「ビケンイズム」は今や関西の大きな勢力?ですらありますから、その総帥の死はひとつのエポック、ひとつ時代の転換期を感じます。建築家としては、住宅作家という世界でも珍しいジャンルを確立した一人としても評価されるのでしょうが、それもこれも、作品と作家に通底する野太さ、大和魂ともいえる朴とつさが真髄として支えになっていたのではないでしょうか。以後弟子達の研鑽が果たしてどのように「ビケンイズム」を引き継いでいくのか?根源的な決意を問われるのでしょう。

オープンハウスのお知らせ

大阪市内の上六でかねてより進めてまいりました住宅が、ようやく完成を迎えようとしています。そこで急ですが、来週の土曜日(2007,9,22)に見学会を行います。この作品は「ハウスコ155大阪O邸」というコンペ作品です。

興味がおありの方は、幣アトリエまでメールにて申し込みしていただけましたら、折り返し場所等の資料を返信致します。