宮沢喜一氏逝去

元首相の宮沢喜一氏が亡くなられました。
心より哀悼の意を捧げます。

戦後政治の生き証人としても非常に貴重な存在であった氏の逝去は私にとっても大きな衝撃です。広島県人の一人としてというのも、物心付いた頃より県内では大きな存在だっただけに勿論だが、それ以上に政治家としての、信条、姿勢、見識に以前から敬意を抱いていたので大変残念です。中曽根さんがタカ派の代表なら、それに対するハト派の代表が宮沢さんだっただけに、片翼がもがれたようで今後の政界にも目に見えず影響を与えるんだろうと思います。
政治は一般の企業と同じではありません。イデオロギーなき時代に突入した21世紀日本にとって、貴重なオピニオンリーダーであった氏は、また、右上がり成長だけをたよりにする経済政治家が多くなっている昨今であるがゆえに、政治家として見習ってほしい「哲学」のある巨人でした。合掌・・・

世襲

少し前になるが金毘羅大芝居を見た。メインは人間国宝の坂田藤十郎であるという。最初ピントこなかった(ここらが門外漢)、しかしよく聞いてみると、前の中村扇雀だという。それならまあ私も知ってる?し、金丸座の建築自体は何回か見ているが、そこで上演される歌舞伎は見たことがない、一度体験してみるのも好かろうということで誘いに乗った。

金丸座は、つい何年か前に補強改造がなされた。名建築なのでご存知の方も多いだろうが、以前は客席に確か4本の柱が立っていた。甲子園の照明塔の柱が野球観戦に邪魔だったのと同じで、舞台の動きを見るのにどこかしらの角度は見にくい席が生じてた。今回の改造で見事にそれが取り払われ、すっきりしていて大変見やすい(もっとも今回は2階側席だったが)。これは基本的には和小屋組みの大梁を鉄骨によるトラス梁とすることで支柱を無用にしたものである。おかげで新扇雀(息子)の宙吊りも楽々可能になり、安定感を増している。

それはともかく歌舞伎である。江戸時代中期から後期の隆盛をいまだに持続させている原動力は世襲なのだろう。どこかの国の元首の世襲はいただけないが、こちらはシステムそのものが無形文化財化していて、ゆるぎないファンを獲得している。
もともと日本は極東の島国がゆえに鎖国も可能にしたぐらいだから、世襲には向いている(?)のだろう。話自体にはなんらの新奇性はないが(ゆえに古典といえる)、人身の新陳代謝がそれを補ってフェスティバル化している。能、狂言にはない派手さ、娯楽性、大衆性を備えている?がゆえに今後もファンは見放さないだろう。

ひる替えって建築家界はどうだろう。基本的に建築家の才能は画家、音楽家等と同じく1代限りである。世界の巨匠たちをみても押しなべてそうである(むしろほとんどは財団が出来ているが)。しかし日本の場合は少し事情が違うようである。戦後の日本の巨匠達の事務所は、その存在自体が世襲化していく。大概は先生没後は、「長」は世襲で引き継いでも、組織事務所として発展?していくことが多い。これはその後の営業的戦略もあるが、建築特有の維持管理が大きな正当性の柱になっている。初めからの大組織事務所の論理もそうである。「小さい事務所では長年にわたっての財産保全監理は出来ない」と。ただ最近は一般企業でも、世襲のほころびがやけに目立つのは何故だろう・・・。ここで私はその是非を問おうとしてはいないが、2年ほど前に行った岩国の錦帯橋での、50年ごとに行われる橋の掛け直しに携わっていた棟梁の話が耳にこびりついている。えらい学者先生方が参集し、、コンピューターを駆使して「橋の力学のシステムを解析して後世に伝えなければならない」、と言うのを尻目に彼は、「こういうものは50年に一人優秀な大工が現れればいいことだ」と言い切る。一期一会にかけている建築家としては少なくともこのくらいの気概は持ちたいものである。

ハウスコ189京都O邸

今回ハウスコ「189京都市O邸」コンペにおいて新田アトリエ案が選ばれました。これは現在工事中の「155大阪市O邸」に連続しての(弊社が応募した中で設計者が決定されたもので)コンペ獲得で大変うれしく思っています。詳しくはハウスコページ参照

建築家 中島龍彦氏のご冥福を祈ります

先日、建築家中島龍彦氏が逝去されました。
心よりご冥福を祈ります。

氏との直接の出会いは、氏が私の「渡辺節賞」受賞時の審査員であったことからですから、かれこれ20年前にさかのぼります。以後、常に近い関係であったわけではないのですが、何かと気配りを頂きお世話になりました。
氏の飄々とした態度、また作家然とした才気と、時折見られる、めがねの奥のやさしいまなざしは、作り手同士のアイコンタクトのようで、あらためて懐かしく思い出されます。

合掌

GREEN GOX

2006年,[ハウスコンペ]で当選した作品である「グりーンボックス」の経過報告。

コンペ作品であるがゆえに関係者をはじめ、少なからず関心をもたれていると思いましたが、経過報告が遅くなりました。多少遅れましたが無事年明けの着工となりました。進捗状況は、現在地階の型枠工事中で、1階床までのコンクリート打ちが今週中にはなされそうです。

実施案は勿論コンペ案をベースにスタートしましたが、皆さんご存知の通りのあの案です。そのままコンクリートでやるには、やはりコスト面で相当無理が生じました。そこで幾多の検討を重ねながら最終案を作りました。まずプランで大きく転換したのは、アウターリビングとしたテラスの位置です。これを南北逆転しました。ただこれはコスト面からというより、機能的な要因による加勢がなされました。空間の趣の変異ということでは大きな転換です。

さて皆さん最大の関心は、外周に回したコンクリートによるゼブラデザインだと思います。これはこの建築の特徴でもあったので最後まで苦心したのですが、残念ながら、南側は取りやめました。それでも北側のファサードはそのまま死守しました。南側の隣家マンションからの目隠しは背の高い孟宗竹を駆使した代替方法にします。その、竹と建築に囲まれた4層吹き抜け空間のイメージもまんざらでもないのではと思っています。

いずれにしても、この夏には完成の運びとなりそうですから乞うご期待。